愛してるなんていうわけないだろ―角田光代著

2009年12月23日

 12月23日、こんな本を読んだ。

愛してるなんていうわけないだろ―角田光代著/中央公論新社―中公文庫 
 
  愛してるなんていうわけないだろ

 角田光代著
 中央公論新社/中公文庫
  ・夜の向こうのパラダイス
  ・小さきものに幸せは宿る
  ・不完全な楽園
  ・「マイニチ」 

 時間はあるが金はない、というわかりやすい状況だった私たちは本当につるんでよく遊んだ。恋愛や自分の年齢との折り合いや、少しも垣間見えない未来や、そんなことにだれもが少しずつ悩んでいて、ときにひっそりと、ときには声高にあれこれと言葉を重ねていた――直木賞作家のデビュー直後の若気のいたりがつまった初エッセイ集!(裏表紙紹介)


 まるで社員食堂の女性ばかりのテーブルに座ってしまったかのような前回の同氏のエッセイ―「今、何してる」角田光代著―にも懲りず、またも彼女のエッセイを購入。

 しかし今回もまた、内容はそれほどに女性特有の恋愛観ばかりでもなく、なんだかんだ云って結構頷きながら読み進む。
 


 ふと「セント・エルモス・ファイア」なる映画を観たくなった。名前だけは知っていたが、レンタル屋でも手に取ったことのないどうでもよかった映画。その映画に登場する一人の若い少年のエピソードが、エッセイの中で興味深く紹介されていたのだ。

 年上の女性に成就しそうにもない恋をする少年の幼くも一途なみっともなさに、憧れの女性は優しい言葉を掛ける、とカクタさんは書いている。ふと「僕はみっともないね」と我に返った少年に、彼女は「こんなことも、無駄じゃないわ」と優しい言葉を掛けたという。

 そういえば映画「アメリカン・グラフィティ」も、まさに若気の至りのと或る一夜を描いていた。あの映画、登場する若者たちと同じようなことをしている時分には面白くもなんともなかったけれど、先日ふと衛星チャンネルだかで放映されているのを観た時、以前の印象とはまた少し違った風に見えたことが印象的だった気がする。

 若気の至りなんて、何も何歳から何歳までなんてことでもなくて、きっと昨日よりもう少しだけ前の事、おとといよりももうちょっと以前の忘れかけた頃の事的な時間のずれを伴った想い出に添えられる言葉のような気がしてくる。

 それはまるで、午後11時の事だろうが、日付の境を過ぎて午前1時の事だろうが、一夜の出来事はあくまで一夜の出来事であるのに、例え同じ日付でも一時の眠りを跨いた瞬間、すべてが昨日の事となるがごとく。昨日とあまり変わらなかった少し前のいつかの事が、いつしか思い出の中のあの日の事に変わっていたことを、人は一旦忘れてからしか振り返れない。

 そういえば、車のハンドルやブレーキなどの利き具合の中の一定の余裕の事を遊びというが、若い頃の若気の至りがふと懐かしくなるのは、そんな“遊び”がなくなった頃ではなかろうか。

200912230053
posted at 2009/12/23 00:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍批評
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