真夜中の五分前 side-B―本多孝好著

2009年12月17日
 12月17日、こんな本も読んだ。

真夜中の五分前 side-B―本多孝好著/新潮社―新潮文庫 
 
 
 
 
  真夜中の五分前 side-B
   ― five minutes to tomorrow ―

 本多孝好著
 新潮社―新潮文庫
 
 かすみとの偶然の出会いは、過去の恋に縛られていた僕の人生を大きく動かした。あれから二年、転職した僕の前にひとりの男が訪ねてきた。そして、かすみとその妹ゆかりを思い出させずにはおかぬこの男が、信じられない話を切り出した。物語は、驚愕のエンディングが待つside-Bへ。今日と明日をつなぐ五分間の隙間を破り、魂震わす極限の愛が生まれる。(必ずside-Aから読んでください)(裏表紙紹介)


 side-A を読み終えた勢いのまま、side-B も一気に読んじまった。ちなみに今回のBGMは普段通りに戻しての“Chopin/Ashkenazy”の夜想曲全集。

 やはりこれに勝るものはないな…。
 
 以降、ネタバレせぬようには注意してるが、どっちにしろAB両サイド読んでいない人にはさっぱりかもしれない。あしからず。



 内容とは別に、モチーフとなっている一卵性双生児について、かつて息子が生まれる前にしばらく考えていたことをふと思い出す。

 子供が出来たと知った頃だったか、もしや、いや万が一生まれてくる我が子が双子だったらと何気なく想像した時に考えた双子という人々の色々の事柄。

 小学校の時だったか、弟と妹が双子という友人は一人だけいたが、もっと身近なレベルでの友人や知り合いには、双子や特に一卵性双生児という人はほとんどいなかった。だから私の一卵性双生児の印象というのは、結局はメディアなどで見ただけの遠くからのイメージでしかないのだけれど、なぜかあまりいいものではなかった。

 いいものではないというのは、本人達の問題ではな。私が危惧していたのは、彼らに対する周囲の接し方と、それに影響されていくだろう本人達の反応の事である。

 似ているのは事実。だが、そこに二人の人間が存在していながら、個性はちゃんと二つ存在するのだろうかということをふと思ってしまったのだ。

 何かの物を選ぶにしても、何かの行動を選択するにしても、二人の人間がそこに居ながら、いつも選択肢が一つというのでは、そこに個性が二つあるとは思えないし、双子の誰々ちゃんという一つのキャラクターがもし出来上がってしまったとしたら、一人ひとりのキャラクターはどうなってしまうのだろうかとふと疑問に思えてしまったのだ。

 誤解を招きそうなのでもっと詳しく述べるなら、いつも同じ服を着せ、似ている似ている同じ同じという暗示をかけるような育て方が、本人たちに似ていることこそ自分たちの個性と思わせてしまうのではないかということ。

 とはいえ、もし我が子が本当に双子だったとしたら、自分は二人をどう育て分け、どう接したのだろう。今となってはもうその可能性はないけれど、現実的に考えると、今でも私にはまったく想像ができない。



 作品は、私のそういった先入観から湧き上がった勝手な不安を裏付けるような姉の悩みと、そこから一人抜け出そうと試みる姉の行動(side-A)、そして姉妹二人を、いや彼らも含めた四人を待ちうける意外な運命とその後(side-B)の影響へと複雑に展開していく。

 はじめは甘ったるい恋愛小説かと引いていたものの、side-Bに入るや、まさにB面に裏返ったともいうべき複雑な展開に、いつしか甘さも忘れてのめり込んだ。

 エンディングは正直いって複雑ではあるけれど、まぁしょうがないのだろうなぁと無理やり納得。結局のところこの作品、一人の男性の五分遅れどころか、ずっと止まったままだった時計の針を自らの力で再び動かすまで…という物語だったのかなと思う。

 side-B を読み終えてからふと裏表紙の解説を読みなおすと、必ず side-A から読んでください!という注意書きに、ご丁寧にアンダーラインまで引かれていた。まぁ確かに、side-B から読んだら side-A なんて読む気にもならんと思うけど。

 ちなみに今にして思えば、わざわざ二冊に分けた理由も判らなくもないでもない。

200912171129
posted at 2009/12/17 11:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍批評
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