アメリカひじき・火垂の墓―野坂昭如著

2009年11月24日
 11月24日、こんな本を読んだ。

アメリカひじき・火垂の墓―野坂昭如著/新潮社―新潮文庫  アメリカひじき・火垂の墓
 
 
 
 野坂昭如著
 新潮社―新潮文庫
 ・火垂るの墓   ・アメリカひじき
 ・焼土層      ・死児を育てる
 ・ラ・クンパルシータ ・プアボーイ
 
 昭和20年9月21日、神戸・三宮駅構内で浮浪児の清太が死んだ。虱だらけの腹巻きの中にあったドロップの缶。その缶を駅員が暗がりに投げると、栄養失調で死んだ四歳の妹、節子の白い骨がころげ、蛍があわただしくとびかった――浮浪児兄妹の餓死までを独自の文体で印象深く描いた『火垂るの墓』、そして『アメリカひじき』の直木賞受賞作の二作をはじめ、著者の作家的原点を示す6編。(裏表紙紹介)


 本屋で見かけるたび、いつかは読まなければと思っていたのだけれど、どうにも手が出ず、でもやっと手に入れ、深夜たった独りの部屋で、いや飼い猫を膝に抱え、ふと思い立って声を出して読んでみる。
 
 何かの義務感のような想いで映画『火垂るの墓』のDVDを買うも、結局は自分でDVDをセットして観る気にもなれず、とはいえたまにTV放送されるとなれば、非常呼称で叩き起こされた少年兵のごとくにブラウン管に己を縛りつけ、泣く泣くその展開に身を任せて号泣、しかしやはり一度は原作も読まなければと勇気を出して今回やっとこさ購入し、いまや野坂氏のライフワークとも云うべき戦争童話を、なぜかふと思い立って声に出して読み、老眼鏡のレンズに溜まる涙もそのままに、そして途轍もない読後感にしばらくの間放心。

 内容とは別に、上記数行のような流れるような、というか、息もつかせぬ異様な文体に驚愕した。読点をあまり使わず句点を多用して延々と続く文体はどこか異様ではあるけれど、いつしか読んでいるのを忘れ、野坂氏本人が目の前で一気に語るのをそのまま聞いているような錯覚に陥る。勢い余り、直後の日記の文体までどこか似たようなものになってしまった。 



 そういえば、『火垂るの墓』に関しては映画で内容を知っていたため、文章としてはどんなものなのかを読みたかっただけなのだが、もう一作気になっていた『アメリカひじき』の内容が、あのような、あんなものだとはまったくの驚き。

 以前ドラマ『白州次郎』の中で、当時の日本人が味わっていた屈辱、そしてやるせない情けなさを、「日本は降伏はしたが、奴隷になったわけではない!」という英語の台詞に置き換えていたけれど、野坂氏は同様のやるせない気持ちを『アメリカひじき』の中で、想像だにしなかった状況で描いていた。

 戦後いくらか過ぎた頃、ある一人の日本人の家庭にアメリカ人夫妻が訪れ、数日のあいだ滞在することになる。彼はアメリカ人夫妻を接待すべくあっちこっちへと東京観光に繰り出し、なぜかその見世物の一つとして、アメリカ人の夫をこっそりと生本番ショーにまで連れていく。そのアメリカ人を前にし、本番ショーの演者の男性はなぜか急にモノが役に立たなくなってしまう。
 演者の男性の情けない気持ちで描く惨めさ、情けなさ。

 置き換えるとしても、まさかそんなモノと置き換えるとは…。男性として妙に納得してしまうも、そんなことで納得してしまった自分がまたどこか後ろめたくさえ思え、なんともやるせない情けなさに満ちた読後感だった。



 ちなみに、“アメリカひじき”とは紅茶の茶葉のこと。
 戦後の救援物資として落下傘で落された荷物に含まれたていた紅茶の葉を、茶葉とは知らずにヒジキと勘違いして料理して食べたという一節がある。

200911242231
posted at 2009/11/24 22:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍批評
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。