ギッシング短篇集―小池滋編訳

2009年12月14日
 12月14日、こんな本を読んだ。

ギッシング短篇集―小池滋編訳/岩波書店―岩波文庫
 
  ギッシング短篇集

 小池滋編訳
 岩波書店/岩波文庫
 ・境遇の犠牲者   ・ルーとリズ、
 ・詩人の旅行かばん ・治安判事と浮浪者
 ・塔の明かり    ・くすり指
 ・ハンプルビー   ・クリストファーソン

『ヘンリ・ライクロフトの私記』で知られるギッシング(1857-1903)は、初期は長篇小説が主だったが、1890年代になって、当時の出版状況や家庭事情などから次第に短篇が作品の中心となり、数多くのすぐれた短篇をのこした。食費を削ってまで好きな本を買い漁る男を描く「クリストファーソン」など8篇を収録。うち本邦初訳2篇。(表紙紹介)


 このところ書店での売り場面積が日に日に狭くなっている気がする一角。肌色の書棚、岩波書店岩波文庫コーナーの前で、その名前を初めて見かけた。
 
 ジョージ・ロバート・ギッシング。

 1857-1903という年代から、私の好きなO・ヘンリー(1862-1910)と同時代の作家になるらしい。

 解説には大学卒業を目前にしたある日、思わぬ事から逮捕投獄され、出獄後の世間の目を避けるようにアメリカに渡り、その地で短篇小説を売り日々の糧としたとある。

 O・ヘンリーの経歴をふと思い出す。短篇の名手として名高い彼も、たしか逮捕投獄という文字が経歴にあった。偶然といってしまえばそれまでだが、不思議なものを感じる。



 ところで、書店での購入意欲を欠き立てたのは作品「クリストファーソン」の紹介文だった。

 本を買い漁る最中ふと手に取った本の紹介文が、本を買い漁る男の話というのにふと縁を感じ、つい買ってしまったわけだが、その作品をまっ先に読みたい衝動を抑えつつ順番通りに頁を捲る。

 普段なら一二編も読まぬうち、気になる作品に頁を飛ばすところが、気まぐれに買った割にはほとんどの作品が好みのタイプでもあったため、すらすらと読み進めることができた。

 で、気になる「クリストファーソン」。病弱な妻をよそに、古本のコレクションに没頭する男は…。これ以上の内容はここでは述べないとしても、いい話だった。シニカルなオチもありがちな作品の中で、程良い心地よさで落ち着いた。



 だが、内容とは別にふと浮かんだのは、いつだったか2ちゃんねるのニュースサイトで読んだガンダムプラモの男の話だった。

 家族―たしか母親だったか―が、命より大切なガンダムプラモのコレクションをこっそりと捨ててしまう。愕然としたコレクターは自暴自棄になり自らの家に火をつけてしまったという話。

 それだけでも想像だに可哀そうな話であるのに、その後実はプラモは一切捨てられておらず、別の部屋だかに移してあっただけだという皮肉な状況を彼は知ることとなる。命より大切だったコレクションを、実は自分自身が燃やしてしまったという悲しき皮肉を知った彼は、一体どんな気持ちだっただろうかと、そのニュースを読んだ際、他人事ながらかなり落ち込んだ。

 だが2ちゃんねるだかには、その話題にもう一人のコレクターとその妻の悲しき話が寄せられていた。

 ある妻は夫のコレクション―たしか鉄道模型―に辟易した揚句、夫婦の生活を優先しコレクションの整理をしてと懇願する。妻の願いをいつまでも聞き流す夫にキレた妻はある日、夫に内緒でコレクションのすべてを売り払ってしまう。

 自分の大事なコレクションを失ったことを知った夫は、今まで悪かった、そのお金で好きなものを買っていいよと一応は受け入れるのだが、彼はそれ以降コレクション以外に残った自分の蔵書や趣味のものまでをもすべて捨て去り、スーツと下着だけを残して何も買わなくなってしまったという。

 所有物をほとんど持たなくなった夫は、今にもどこかに消えてしまいそうで怖いんです、どうしたらいいでしょうかと妻は不安を訴えていた。

 先の「クリストファーソン」とは別の二つの結末がそこにはあった。

 人間って、大切とはいえ身近なものだと、失ってみないと気がつかないってことの方が多いものである。それを教えてくれるのがこういった作品なんだろうなぁと、耳の痛みに耐えつつ想う。

 歌声をいくら懐かしんでも、ナイチンゲールは二度と戻ってこないのさ。

200912140913
posted at 2009/12/14 09:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍批評
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