僕は親指、君は人差し指、そして

2009年11月15日
 僕は親指、君は人差し指。
 彼は中指で、彼女は薬指で、それから小指は誰彼で…。

 そんな比喩が、ふとある日浮かびました。
 小指は愛人でとかって下世話な例えじゃありません。

 何を例えてるかって、そりゃ死生観ですよ。私なりのね。
 
 集合無意識がどうのとかって、誰かの論文だかもあったけれど、人はやはり奥底のさらに奥、意識の下の無意識の、奥の奥のさらに奥、深い深い奥底で繋がっているのだ…とは、私は普通に思っている。

 右手の親指が右手の人差し指と向かい合っても、元を辿れば繋がってるがごとくってこと。

 ついでにそんな考えを広げるならば、その大元あたりに神などと呼ばれるモノが潜んでいるのではとも思う。

 人は天を仰いで神の存在を思うけれど、神は心のうちにあると最近特に思っている。

 この世とは、親指と人差し指の間に存在する、日々私たちが目にするこの空間で、そして実はあの世というのは、その空間の裏側としての、体の内側、さらにその奥の内面、つまりは心の内側ではないかと、ふと思えたのだ。

 生から死への転換とは、視線の反転であり、今まで外界を見ていた“私”という存在が、視線を反転させ、次なるは内界がすべてとなった瞬間ではないかと思う。

 では、外界と内界が反転したら、あの世であるべき内界の世界は人の数だけあるのかというと、そうは思っていない。きっと繋がっているのさ。親指と人差し指がその根元で繋がり、同じ血液を通わせているがごとく。

 人一人を指に例えるならば、地球上の人の数だけ指があることになるが、だとすれば、その指一本を司る脳ミソの辺りに、大いなる存在があるではなかろうか。

 だから、だから、僕は親指、君は人差し指、ってわけ。

 判るかなぁ。判んねぇだろうなぁ。
posted at 2009/11/15 21:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観
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