自ら奏でる自らのレクイエム

2009年08月21日
 2009年7月21日、若杉弘という指揮者が亡くなったという。彼のことを知らなかった私は、彼を偲ぶNHKの番組で今は亡きその存在を知った。

 その彼を追悼する番組の中で、その彼を追悼するレクイエムを、その彼が指揮していた。不思議なものである。それは単に番組が仕立てた偶然でしかないのだけれど、何か不思議なものを感じた。

 己のレクイエムを指揮する姿。
 


 そういえば、私のお気に入りのバッハのシャコンヌも、初めて聴いたのはたしか編曲者である斉藤秀雄氏を追悼すべく演奏されたものだった。

 マエストロ小澤征爾のライフスタイルをドキュメントしたドキュメンタリー「OZAWA」の中で、斉藤秀雄氏を師と仰ぐ者たちが彼を偲んで演奏していた。たしかあれはサイトウキネンオーケストラの初期もしくは前身としての公演だったと思うが、ある意味似たような状況だった。

 その存在亡くなってからその存在を知ったというのも似たような状況ではあるけれど、己の編曲した楽曲が己のレクイエムとして奏でられるという状況も、単にもっとも彼を偲ばせる一曲ということとはいえ、今にして思えばどこか不思議なものを感じる。



 若杉弘氏を偲ぶNHKの追悼番組では、どこかのオーケストラ相手に魔笛だかを彼が初めて振った際のエピソードを語る彼自身のインタビューが紹介されていた。

 曲の冒頭、最大限の音をイメージしてまさに指揮棒を大振りした彼の耳に聴こえたその楽団の音はそれはそれはソフトで、まるで包み込むような優しい響きだったという。

 自分のイメージしていた音とのギャップに一瞬苦しむも、彼の振り方を裏切って返ってきた音の方が明らかに美しく心地よかったことに、彼はその場で楽団に対して謝り、もう一度振らせてくれと頼んだという。

 本人による本人の話とはいえ、映像や音楽とは別に人柄が伝わるエピソードに、彼の存在がさらに気になり始めた。今は亡きその存在が…。



 映画「ある日どこかで」―Somewhere in Time―の中では、今は亡きクリストファー・リーブ演ずる主人公リチャード・コリアーが一目惚れしたのは、すでに亡くなっていたかつての名女優だった。その絶望感と無力感と孤独感に、彼は映画ならではのそれはそれは特殊な方法で挑むのだが、まさにそれは映画ならではの話。現実には冒頭の若杉弘氏指揮によるコンサートも、前述の斉藤秀雄氏指揮するコンサートも、もはや願っても叶わない。

 絶望感と無力感と孤独感に、どこか漠然と悲しくなる。
posted at 2009/08/21 01:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽批評
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