それは迷信慣わし言い伝え?

2006年01月20日
 慌しい朝など、ふとボタンが取れていると余計慌しくなることがあるが、それも大抵はよりによって着終わってから気付くものである。そんな時、着たままの着物に決して針を通してはならない。

 「なぜいけないんだ?」

 そんなことは知らなくてもよい。昔からそういうモノなのだ。家の中で靴を履いてはいけないのと同じである。

 「そりゃ床汚れるし、当たり前だろ!」

 いや、そういう問題ではないのだが…。
 
 「アメリカ人じゃあるまいし、そんなことするわけないし…」

 いや、そんな問題を言っているのではない。ご飯に箸を突っ立ててはいけないのと一緒である。

 「俺パン食だから関係ねぇし…」

 パン食う人間だっていけないモンはいけないのだ。昔からいけないモノなのだ。理由なんて二の次でよい。

 「ってか根本的に針なんて使わんし…」

 いやだからぁ〜、そういうモノだと覚えておけばよいだけである。誰が何を使おうが何を食おうが関係ない。枕を北にしちゃいけないのと一緒である。

 「枕北なら尾は東ってか?」

 それを言うなら南だろ〜が、まったく…。



 子供の頃、朝の慌しい時間にボタンが取れているのに気付くと、母は針と糸を用意し必ず何かを唱えながらボタンを付けてくれた。

 そんな機会もすでになくなり長いこと経った最近、ふとあの時の言葉が何だったのかが無性に知りたくなった。

 先日実家に行った際そのことを母に訊ねると、母はそんなの知らんと言う。いや坊さんがどうのとか袈裟がどうのって唱えてたでしょと説明すると、「あぁあれね」と言いながらも結局のところは全く覚えていなかった。

 母は書棚からことわざ辞典を引っ張り出し、「これで調べてみれば」と言うのだが、「ありゃことわざじゃないし…」と言いつつ調べてみると、やはり案の定それらしきものは何も載っていない。

 結局頼りにしていた出所の母が当てにできなかったものの、色々話しているうちに旅がどうのと、さらにキーワードが増えたので、あらためてヤフーで検索してみると念願叶ってその懐かしき呪文の言葉が現れた。

 ふむ、便利なインターネットの検索システムも、バカとハサミ同様、キーワードが用を成さないとまったく役に立たないことをまたもや思い知らされた。

 さてその肝心な呪文の言葉は以下のようなものである。

 弘法は
  旅の衣に急がれて
   着せて縫うのも
    目出度かりけり

 昔から日本では、というか海外ではどうなのかは知らんのだが、死者に対して行う行為や死者にまつわる事柄を生きた人に対して同様に行ってはならないという古くからの教えがある。

 この言葉。生きた人の着たままの着物には決して針を通してはならないという教えから派生した言葉らしい。それはそれがまるで死者の旅支度に映るからである。

 生きているなら着物を一旦脱ぎなさい。脱いだ着物に針を通しなさい…という教えである。それが許されるのは、旅に急がれている弘法大師さまだけでしかないということである。

 だからこそ、本当に着たままの針仕事をどうしても必要だというのなら、弘法大師さまと同様に急いでいるから仕方ないことなのだという意味で、この言葉を唱えるのである。



 さて、家の中では靴を履いてはいけないと言われたことはあるだろうか。私はよく新しい靴を初めて履く時によく言われた。

 例え靴が新しくて床が汚れなくとも、家の中では靴を履いてはならない。それもまた死者が横たわるまま履物までも仕度されることに映るからなのだと教えられた。

 ご飯に箸を突き立てるのも同様。死者に供えるご飯と同じに映ることを嫌い、人はみなそれをするなと教わってきた。

 後は何だったか。そうそう、枕であった。枕にしても同様、死者の横たわる床は仏様にならって枕を北か西へと向ける為、生きた人はそれを避けてきたのである。

 ちなみに話はそれるが、黒いスーツで地味なネクタイの男性がポケットに小さなコンパスをしのばせていたら、それはきっと葬儀屋に違いない。彼ら、何かというと北はどっちだといつも気にしているからだ。



 まぁ結局は縁起を担いだ迷信でしかないし、それを知らなくても人は生きていける。とはいえ、そんな古臭い教えの一つでさえ、日々年々忘れられ、淘汰され、伝わらずに消えていくのを身近に感じると、それもそれでとても残念でならない。

 自分に一番身近な状況として考えてみれば判りやすい。親が知っていたたった一つの言葉でさえ子供が知らず教わらずに育つということが積み重なり、さらにはそんな状況が世間のあちこちで同時同様に起きているのだとすれば、多くの大切な言葉が伝わらず受け継がれずに消えていくのも無理もないことなのだろうと、ふとどうしようもない遣り切れない気持ちになったのだった。
posted at 2006/01/20 01:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘雑録
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