トキの最後の羽ばたき

2004年07月17日
キッカケ記事…
日本最後のトキ
 キンの「遺言」その意味は?
―新潟県・佐渡島の佐渡トキ保護センターで死んだ日本最後のトキ「キン」。推定三十六歳の雌。人間にすれば百歳を超える長寿だったが、死因は老衰ではなく、突然羽ばたいての激突死だった。劇的な最期は、関係者の心に波紋を投げかける。「キンの遺言」の意味は―。

保存サイトライブラリーを整理していたら、忘れられない記事を見つけ出したので、古い記事なのだが掲載する。
忘れられず、いつまでも忘れたくない記事の一つである。ゆえに、長い記事だが全文を添える。

2003/10/31YahooNews
 今月十日午前六時二十九分十五秒、キンが死んだ瞬間の様子は、飼育室の中に取り付けられた監視カメラの映像が物語る。
 「今まで寝てたのが、急に横っ跳びに飛んでいる。若い時を含め、こんな見事な羽ばたきはないそうです。完全な飛翔(ひしょう)です。よく、そんな力が残っていたなぁと皆、驚いている」。堀井道夫・佐渡トキ保護センター長は説明する。両方の羽を広げて飛び立ちドアに頭を強打した。死因は頭部挫傷だった。
 左目は失明、右目も明るさを感じる程度だった。飼育室から外に出るのも年に数回で、自分では部屋に戻れないため、飼育員が室内に戻していたという。
 センターにはキンのほか、中国からのトキと、繁殖した子供を含め四十羽がいたが、「四十羽の飼育ではなく、三十九羽の飼育と一羽の介護という状態だった。キンの介護は、他の三十九羽すべての飼育と同じくらいの労力が必要だった」と言う。
 しかし死ぬ二日前から、外に出て自力で飼育室に帰るなど、急に元気になっていた。

「目の見えない鳥が

 暗闇を全力挙げて

 飛んだというのは、

 どのようにとらえれば

 いいのか…」


 キンが生まれたのは一九六七年。巣立ち直後とみられる同年七月、佐渡島の真野町に迷い出た。町から監視を頼まれた故宇治金太郎さんがドジョウを与えキンは宇治さんの手から食べるほどなついた。翌年、野犬などから襲われるのを防ぐため捕獲のうえ保護された。「キン」は宇治さんの名前から付けられた。

 「キンが若い時点で、相手を見つけてやれなかったことを悔やんでいる。センターに来てから十年目ぐらいまでは、繁殖期になると小枝を集めてその上で腹ばいになる就巣活動をしていた」。捕獲当時から、定年退職する今年三月まで、キンの世話を続けてきた近辻宏帰・前センター長(60)は振り返る。
 七〇年、繁殖力の旺盛な三歳のときに、石川県・能登半島に最後に残った一羽「能里(のり)」と同居したが翌年、能里は死んでしまう。腎臓にメチル水銀が残っていた。農薬に汚染されたエサを食べていたためとみられる。
 「再婚」は十年以上たってからだ。環境庁(当時)が野生に残ったトキを全部捕獲して人工増殖をすることを決め、八一年、雌四羽、雄一羽の計五羽がセンターに来た。この雄の「ミドリ」と同居をしたが、卵は産まれなかった。「卵を温めたいのに、産まれないので、ミドリの方がいらついてきて、キンを攻撃するようになった。私が間に入ってキンを助けた」(近辻さん)。八七年、中国から来た「ホアホア」と同居したときには、すでにキンの繁殖能力がなくなっていた。

ワードBOX=トキ
 学名ニッポニア・ニッポン。全国各地にいたが、羽根や肉を目当てにした乱獲で明治時代に激減。昭和以降も生息が確認されていた佐渡島、石川県能登半島でも戦後の農薬使用など環境悪化で減少の一途をたどる。1952年特別天然記念物、60年国際保護鳥に指定された。
YahooNews/西日本新聞

目の見えない彼(トキ キン)が暗闇に全力で飛び立つ姿を想像すると、悲しくなる。
2004/07/17…映太郎

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この記事は、
YahooGeoCities版★映太郎の映像批評★
2004/07/17/Log-no0011記事
≪日本最後のトキ キンの「遺言」その意味は…≫より移植
posted at 2004/07/17 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報道批評
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