モノクロの山門

2004年11月21日
山門とは、寺、寺院の門をいう。

寺というものは元々山の中、山の上に建てられていた。そのため、入り口である“寺の門”は、つまりは“山の門”となる。街中の寺だろうと、“映像山映像寺”なんて風に、その名前の上には必ず山の名前がつく。それが都会の真ん中だろうと海沿いだろうと、お寺にとっては、そこは山なのだろう。

青空と山門仕事で通りかかったそのお寺の入り口は、その門自体が山のように巨大なものだった。

ビルに囲まれたその山門だけを撮影しようすると、結局こんなアングルになってしまった。しかし背景としてはこの青空が一番であろう。

もしその写真がカラーだとすれば…。


先日の私の記事、“モノクロームな時間の風景”で、白黒写真の投稿に味をじめてしまった私はこの風景を撮影する時点ですでに、その色を抜き去ってシャッターを押していた。

撮影したこの画像にはお手本がある。カメラが趣味だった父の作品だ。アサヒカメラを定期購読していた父の写真を模倣したのだ。

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父親の部屋は実家で唯一の洋間だった。
白いはずの漆喰の壁は、タバコのヤニで黄ばんでいた。壁に掛かっていたその写真はどこかの寺の屋根を撮ったもの。白い空に突き刺さる黒い屋根のシンプルな構図は、幼い私の記憶に刺さったままだ。

神社仏閣巡りが好きな父は、正月休みは必ず奈良京都へと逃避行していた。親戚付き合いが苦手だったのだ。
人付き合いが苦手なことも、神社仏閣になぜか興味を覚えることも、最近つくづく父の影響を確信している。

白黒の山門父の写真は、ほとんどが白黒だった。
それはただ単に時代のせいなのだが、カメラ雑誌“アサヒカメラ”の作品の数々が白黒だったせいもあって、最近特に白黒写真に郷愁を覚える。

たぶんあの寺院の写真が、私のモノクロの世界の入り口だったのかも知れない。
だとすれば、父の写真も山門だったのかも知れない。

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ちなみに、文体はすべて過去形だったが、父はまだ現在形で写真を撮っている。
本格的な一眼レフ系デジカメが欲しいと叫ぶ私とは逆に、フィルム式バカピョンカメラを使っているのだ。「これは便利なんだぞ!」と今頃自慢している。

アサヒカメラを読んでた写真家はどこへ行ったのだろう…。
posted at 2004/11/21 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 風景雑感
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