ファインダーの闇に広がる風景

2005年12月20日
 人の写真や自分の写真を見ていてふと考えた。写真の構図って、やはりその人が長年見てきたモノが表れるんだろうなぁと。

 具体的にも、今まで見てきた親の写真だとか、ドラマや映画のワンシーンだとか、美術館や写真集で見た一枚の絵だとか。そんなモノがいつのまにか手本となり気付かぬうちに雛形となっているはずである。

 カメラを構えた瞬間は、それがあたかも自分だけの構図のように「コレだっ!」なんて思いながらシャッターを押したとして、結局は見えない手本に素直に従っているのだろう。
 
 まぁ実際はそんな手本に大方従いつつ、現在の心理状況やそれにより日々移り変わるだろう視線の角度などが、自身のエッセンスとなって味をつけるのではないかと思う。

 ではその見えないお手本と自身のエッセンスが、一体どれ程の割合で写真に表れるのか。それもまぁ人それぞれだとは思うが、自身のエッセンスなんてせいぜい1割にも満たないとしか私は思っていない。

 私に言わせれば結局の所、今まで見てきたモノの中からその時その時に自分が気に入った写真を、自分自身の手でただ再現してみたいだけなのだ。

 ところで、最近私がファインダーを覗くと、真っ暗な闇の中に懐かしい構図が浮かび上がる。カメラの向こうに広がる風景がどこかで見た風景写真といつも重なるのだ。

 カメラをどっちに向けたとして、何を被写体に選んだとしても、そのファインダーの闇に広がる風景はいつも見慣れた構図である。

 はて、この構図はどこで見たものかと考えれば、それはすべて父の書斎に飾られた写真たちだった。煙草のヤニで黄ばんだ洋間の漆喰の壁に飾られた白黒の写真たち。

 私はきっと、日々その写真を求めてファインダーを覗いているのだろう。
posted at 2005/12/20 07:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑題雑想
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