エンヤは音楽を全く聴かない?

2004年11月11日
最近テレビのCMで彼女の歌声をよく耳にする。

「エンヤが日本語で歌う!!!」

そんな宣伝文句に驚いた。
だが、テレビから流れ出て来た日本語は、

「イロ〜♪」

「えっ?…日本語って?…これ?

おいおい!それだけか?

…空耳に応募しちゃうぞ!」

確かに日本語には違いないが、期待した自分が今は悲しい。

  −・−・−・−・−・−

美しい旋律と繰り返し琴線に触れる声、そしてどこか懐かしい無国籍風なアレンジ。
私はENYA:エンヤが好きである。オリノコ・フローのビデオクリップを始めて見た時の衝撃は相当なものだった。
そのエンヤの逸話で別の衝撃を受けたことがある。

音楽家エンヤは

 音楽を聴かない

本当だろうか?
音楽家が音楽を聴かないなんて…。

詳しくは覚えていないのだが、その話はたしかエンヤだったと思う。その言葉の“音楽”というモノが、一切の音楽芸術を意味するのか、ポピュラー音楽に限ってのことなのか、どういうモノを指して言っているのかはわからない。もしかしたら私の勘違いかも知れない。

それにしても
音楽を一切聞かずに音楽家は音楽を書けるのだろうか?

  −・−・−・−・−・−

作る人々、
様々な作り手はどうしてるのか?

料理人に例えてみる。
◆料理人は料理を食べずに料理を作るのか?

人は料理を食べずに生きてはいけない。
毎日三度は料理を食べる。料理人だって、料理を食べずに料理を作れない。作る以前に死んでしまうではないか。

これではエンヤとの比較にならない。

日々三度食べているのは料理ではなく単なる食事とすれば、例えとして展開していく。

エンヤだって、すべての音楽と言ったところで、すべての音とは言ってない。教会の鐘だってオルゴールのメロディーだって、携帯の着信音だって聞いているはずだ。
料理と食事は違うし、音楽と音も違う。

◆料理人が「作品としての料理」を食べるのか?

ふむ、
食べずとも自分の味覚とセンスに自信があれば、料理人は料理を作りそうだ。巡る季節と、その季節の味覚と、その旬の味の組み合わせを見つめて感じるものがあれば、その人なりの作品としての料理が季節ごとにメニューに加わるだろう。

  −・−・−・−・−・−

画家に例えてみる。
◆画家は絵画を見ずに絵画を描くのか?

ラファエロはダヴィンチやミケランジェロに刺激を受けたとか、ゴッホやルノワールは日本の浮世絵を見て創作意欲をかき立てられたとか、そんな話を聞いたことがある。

だが、どれも刺激になったとは聞くが、ダヴィンチがいなかったらラファエロは絵を書かず、浮世絵がヨーロッパに渡らなかったらゴッホも筆を取らなかったとは思えない。

創作意欲や刺激にはなっただろうが、根本的な創作欲は元からあったはず。

以前棟方志功の創作風景を描いた映画を見たことがある。体の中から止めどなく湧き上がる創作欲のようなものを、彼自身どうすることもできずに勝手に手が動いているようだった。

  −・−・−・−・−・−

映画監督に例えてみる。
◆映画監督は映画を見ずに映画を撮るのか?

映画監督のコメントにはよく他の映画監督の名前が出てくる。ヒッチコックの「ホニャララ」のオマージュですとか、それ以前にホニャララ監督の映画を見て監督を志しましたとか。映画に限らないが、自分が好きで映画を作るなら、映画を見ること自体も好きなはず。そう考えれば映画を見ない監督はいないだろう。だが、それが創作のきっかけになるとは思えない。ほとんどの監督は、日常の雑感などからだって一つの作品を作れるはずである。

  −・−・−・−・−・−

詩人に例えてみる。
◆詩人は詩を読まずに詩を詠むものか?

・・・・・。
もういい加減例えは不要になってきた。
詩人に限らず、すべての作家と呼ばれる人々は、内なる創作欲に動かされ、それを形にしているはずだ。

◆音楽家は音楽を聴かずに音楽を作る
◆エンヤは音楽を聴かずに作曲をする

ふむ、有り得る。
先の言葉が本当に彼女のコメントかどうか実際定かではないのだ。だが、有り得る言葉だと思えてきた。

芸術家にとって芸術など
 必要不可欠なものとは限らない


そうかも知れない…かも知れない…かも…か?

こんな例えはどうだろう。
◆ブロガーはブログを徘徊しなくてもブログは作れる

ふむ、
日々感じることがあればブログが作れるではないか。

この例え一つで十分だったわけだ。
posted at 2004/11/11 18:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | 広告批評
この記事へのコメント
やっぱりおもしろい〜(笑)
私が見ても読んでも聴いてもつまらないなぁ・・
と思うのはいくら良く出来てても
伝わってくるものがないものです。

誰かのものがとても好きで
好きが高じて自分がなくなる。
よくあるそれが一番つまんない。

音楽にしてもCDを10000回聴くよりも
実際、人の悲しみや喜び
雨の冷たさ、太陽の暖かさ
そういったものを直に自分の肌で感じる。
その時その時に溢れる感情や思いを
誰かに伝えたい、音で表現したい・・
そんな気持ちが
全ての始まりのような気がします。

でも、いいものを見たり聴いたり味わったり
それは自分の感性を高めていく上で
とても大切なことだとも思います。
あくまでも、それはそれとして・・。
あ、意味わかりませんかねぇ・・;

Posted by ちぃ at 2004年11月12日 12:10
>ちぃさん、こんにちわ

何かを感じ、
何かで表現し、
誰かに伝える…。

「ねぇねぇねぇ!
今日ねぇ、庭でね、赤い花がね…」

芸術の原点なんて
このあたりなんでしょうか、ねぇ。
Posted by 映太郎 at 2004年11月12日 12:25
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